モーニング娘。コンサートツアー2003・春
NON STOP!
2003年5月4日〜5日 さいたまスーパーアリーナ
第7章[NON STOP! 終演後のモーリガンたち]
いよいよ最後の公演が終わってしまった。
会場内は、早々と電気がついてしまったが、私が出る時までも、まだまだ「圭ちゃん」コールは続いていた。
会場を後にして、自分たちのいた場所に戻った。
どうやら、私が一番早かったらしく、しばらくその場にボンヤリとしていた。
しばらくすると、ぼちぼち仲間たちが帰ってきはじめた。
想いはそれぞれ違うはずだが、騒げないことは共通しているらしい。
遠征組の一員で、圭ちゃん推しのゴーけい君は、非常に晴れやかな顔である。
「圭ちゃんが卒業の折、笑顔でいてくれたことがすごくうれしかった」とのことである。
逆に、ふさぎ込んでいる面々に「何、俺よりしんみりしてるんスか!」と声をかけて回っていた。
気丈というだけでない、強さというものを見せてもらった気がする。
まもなく、出陣前の面々が一通り戻ってきた。
いろんなところで、いろんな話をしていたと思う。
私も、つとめて明るく振舞った。でないと、ますますふさいでしまう可能性があった。
そのうち、遠征組でこれから帰る人々を中心に、さいたまから去る人々が出始めた。
彼らに別れを告げ、再会を誓った。
私も去年までとは違い、名古屋・大阪は遠征の範囲になってしまったから、多分近いうちに会うことには
なりそうである。
そうこうしているうち、一部の連中が「祭」をやりはじめた。
まるでワールドカップで日本が勝ったときの再現である。集団は100人以上と見られ、コールを上げたり
PPPHをやったりで、まことに騒がしい。
まったくもって、神経が分からないのだが、あちらとて私たちの雰囲気は違うと思っているはずであるから
お互い様と言えないこともない。
私たちも1時間ほどいたが、その軍団がこちらに向かってきたのであわてて退避。とりあえず移動すべく、
さいたま新都心駅に向かった。と、後ろからデモ隊みたいな連中がやってきて、駅の改札前でコールをやらかし
始めたのである。改札あたりは屋根があるから、反響してしまいシャレにならないうるささである。
私たちは改札をくぐり、北方向へ向かうてんさんと別れ、南向きの京浜東北線に乗る。
しまさんが23時43分発の「ながら」に乗車されるので、とりあえず東京駅に向かった。ちなみに氏の地元に
「ながら」が到着するのは、真夜中である。
車中のヒトは、しまさん・えいるさん・ののっち君と私の4人。適度にヲタトークをしながら50分ほどで
電車は東京駅に滑り込んだ。時間は10時20分を回ったところである。件の「ながら」発車までは80分の
待ち時間があったので、空腹を満たすべく駅構内の中華食堂へ。11時閉店ということなのでさっさと食べて
店を出ようと話をまとめる。
確か、ごっちんの卒業後は新横浜の居酒屋で少し飲んだ記憶がある。あの時も多少気持ちがふさいでいたが
今日とて盛大に盛り上がれるものではない。しかし、表面的には悲愴感は見えなかった。多分にコントロール
して、抑えていたに違いない。
個人的には、セットにつけようとしていた炒飯がタッチの差で売り切れ、あえなく麻婆丼への
変更を余儀なくされたあたり、微妙にふさぐ(笑)。
食べ終えると、まもなく23時を迎えようとしていたので、店から出る。食べるだけだったので、勘定も一人
1000円前後と、それなりに安上がりであった。
私とののっち君は東海道線で一足先に東京駅から出発する。
えいるさんはしまさんと少し話すらしい。私もファン歴3年半(うちヲタ歴2年)になり、あちこちに遠征
こそするようになった。しかし、彼らのファンとしての深さに比して、私などまだまだだと痛感している。
東京駅から23時03分の東海道線で帰路に着く。
しまさんとえいるさんにお見送り頂く。しまさんは最後まで「ゲッツ!」だった(笑)。
たまに新橋〜川崎を乗車しているが、つねに鬼のような混雑に押されている時間帯であるから、この時間の
空き具合が奇妙である。これで15両だ11両だというのも、考えようではもったいない。
車中、最終公演で取り乱された(らしい)てんさんにメールを送る。
あの公演が終わった時点で、保田圭というメンバーがモーニング娘。というグループから卒業した、という
ことは、既定の事実となってしまったのである。今になってどうすることもできないわけである。
最近、娘。関係に変動が起きても、さほど動じなくなった自分がいる。
むろん、卒業となれば話は別であるが。それでも数日中には自分の中で消化してしまう。
「推しのメンバーじゃないから」という声もあるかもしれないが、その点は私にも分かりかねる。ただ一つ
言えることは、その事態も遠からぬ未来に待ち構えているだろう、ということである。
しかし、自分が好きになったグループが、そういう運命を背負っているのなら、自分もそれなりの覚悟だけ
はしておく必要がある、と思う。
「それはまたそれで、アリなんじゃない?」と私はよく言う。
決して無関心というわけではないのである。
本当は、決定事項にだって不満はあったりもする。
東海道線は、深夜帯となってめっきり空いたダイヤの上を快調に飛ばす。
もう1時間足らずで、5月6日を迎える。ののっち君とは、電車の中とあって、それほど話もせずに川崎へ
到着した。彼とは昨年4月以来、毎月会っているらしい。いつまでこの記録は更新されるのだろう。
自宅に戻ると、まもなく日付が変わる頃であった。
保田圭さん、あなたの教えは後輩たちが受け継いでいってくれるはずです。
この日までの貴女の勇姿、絶対に忘れません。
これだけ後輩から慕われ、先輩からも頼りにされ…。
こちらこそ「ありがとう」と言わねばなりません。
最後に拙すぎるあいうえお作文で締めたいと思う。
や 優しくて、時には厳しい
す すぐ相談できて、親身になってアドバイスをくれる
だ 大家族の母のような暖かさだから
け 「ケメ子」になりきった時は衝撃的だけど、
い いつも姿勢は「Going My Way」
万 万(よろず)器用にできなくても
歳 歳ごとに輝く女(ひと)であれ!
これからも、ハロプロその他で会おうね。
〜Fin〜
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