モーニング娘。コンサートツアー2002夏
LOVE IS ALIVE
2002.-9.22・23 神奈川県・横浜アリーナ
[第7章:終演後、会場外の動と静 〜終章にかえて〜]
公演後は、昨日のそれよりもさらに場外の「動と静」の状態がシンメトリックだった。
私の親しい仲間たちは、一様に茫然自失としている。
何事かを考える者、感極まって泣く者、仲間を気遣って側にいる者。
絆の強い仲間たちは、特段何も言葉をかけることをしない。
見えない信頼関係が感じられることは、彼らが素晴らしい仲間であることをそのまま感じることである。
彼らとは、つきあいが薄いこともあるが、やはり信頼関係もそれほど厚くないと私は勝手に思う。
会場に着けば、彼らがいる。で、雑談や娘。の話題に加わるばかりなのである。
彼らのそんな信頼関係が羨ましく思えてしまった。
そんな折、私はこれからのことを考えていた。
ごっちんを欠いた娘。に不安がないといえば嘘になる。
歌の面でも、最近めきめきと実力をつけた彼女のパートは数多い。どこを誰が歌うことになるか。
…ふと、ミクロなことばかりを考えていた自分が、少しイヤになった。
ようやく周りを見渡してみた。雑踏はさらに膨らみ、警備の係員もご苦労なことである。
私たちにとって、通り向かいの風景は、彼岸のことである。
まるでごっちんの卒業を、タンポポ・プッチモニの現体制終焉を喜んでいるかのような盛り上がり方
である。私には理解し得ない。
わざわざバスを仕立てて来たり、カスタムカーのように装飾してクルマを走らせる輩もいた。
意気は感ずるものの、とても賛成できない。
数十分もそうしていたように思う。
仲間うちのごっちん推しの一人、RBさんがその場に残っていた仲間に声をかけて全員が円になった。
RBさんも先ほどまで「我ここにあらず」といった状態だったのだが、気丈に立ち上がった。
「今日は、ウチの嫁(←ごっちんのことを氏はこう呼ぶ)の卒業祝いに来て頂きまして、ありがとうございます」
と始め、これからもごっちんはもちろん、娘。も応援していくと宣言してくれた。
そんな氏の音頭で、三本締めを行い、私たちのライブは終了した。
新横浜駅に向かう途中、楼蘭さんに1列後ろの彼のことを話してみると「私の相方だ!」と、
強烈な一言を喰らう。
あの広い横浜アリーナの、私のたった1列後ろに氏の相方がいたということになる。
毎度のことながら「世の中は狭いものだ」と実感する。
駅からは帰宅組と食事組に分かれて、食事組は1号。さんの先導で和民へ。
新横浜というところは、普通に食事をできる店というのが限られているらしい。
で、ある程度空いているだろうと思われたところに着いたのだが、7人という人数が一気に座れる席は
なかったらしい。やむを得ず4人と3人に別れて座る。こちらはののっち君とえいるさん。
お馴染みという感じがしないでもない。
最初は「食事」という題目だったが、話し始めると酒が進み、結局2杯飲んだ。
何となくハイテンションにならないのは、今日の公演の性格上、仕方ない。
普段のライブ後の飲み会などは、ハイテンションになるものだが、今日ばかりは鬱々としてしまう。
今後のことや、間もなくスタートする第3期タンポポのことなどを話していたように思う。
仕方ないかと思いつつも、やはりライブ後はパッと盛り上がって飲みたいものである。
時間も遅いので、1時間ほどで店を出る。
次の予定などを皆さん確認していたが、当時の私は11月30日の前橋まで予定がなかったので、
若干肩身が狭かった(笑)。
周囲の参戦予定に触発されたわけではないが、10月26日の夜・神戸ポートアイランドのライブと11月3日の
大阪ドームで行われる運動会に参戦した。
ごっちんの卒業後、グループはどんなパフォーマンスで私たちを魅せてくれるのか。その答えを確認しに
行ったのである。
また、ごっちんの新たな挑戦として、ソロミュージカルが決まった。
FC先行でハズレを喰らったものの、執念で大阪1公演・東京1公演を観ることに。
2002年9月23日。
この日が娘。の歴史に重大な1ページを刻んだことを忘れない。
ごっちんの今後が順風満帆であることを祈って、拙稿を締める。
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