神様の日常


基本的に管理人にとって「神様」とは藤子不二雄を指すのですが、
この日記では自分のことを神様と呼んでみたり、広義的にこのサイトの事を指したりします。

神様は多趣味なので、興味のない日記は読む時間を無駄にしないように
右上の構成要素で確認できるようになっていますからね。

神様只今にんちん中のため、その話題ばかりになっておりますが、お付き合い下され。



平成20年8月11日 (月)心 100

心の中のマリア

 忘れられない人が、誰にでも1人はいると思います。
 私は、小学校の時の先生です。
 母が亡くなった当時の担任の先生には本当にお世話になりました。

 私が母を亡くした小学校1年の時、先生は既におばあちゃん先生でした。
 その優しさと厳しさはカリスマとでも言うのでしょうか。先生の下で育った子供には1人として悪い子はいないと思います。子供を叱る中にも愛がはっきりと見える。
 教師(や警察など)が「聖職」とはこの事を言うのだと、絵に描いたような人間でした。

 先生とは「教諭と児童」の域を越えてのお付き合いもあって、小学校を卒業してからも数年に一度お会いしてミュージカルを観に連れて行って貰ったり、定年後のボランティア活動に誘っていただいたりしました。(それは決して強要ではありませんでした。)

 本当にどうしてそこまで私の事を可愛がってくれたのか。
 母を亡くした私が哀れだったのか。…それだけで?
 家庭の事情なんてどこの家庭にもあるでしょう。哀れむとか、そんな簡単な事ではないと思います。

 先生の家へ遊びに行ったのは、小学校の時だったか、卒業後だったか…
 私の家からそんなに遠くも無かったはず。たかだか2つ3つ隣の町です。
 20年以上もの記憶を頼りに、私は歩いてみる事にしました。

 大体の予想をたてて歩いてみたのですが、やはり新しい道も出来ているし、入り組んだ細い道の記憶は薄れていました。それでもそんなに大きくない地元の町です。坂が多いので時間はかかっているけれど、アパート等の新しい町並みではなく、昔ながらの一軒家が並ぶ道を探せばいいはず…。

 鬱蒼とした林の中を通り、神社に辿り着きました。ヤフーで調べた地図には「寺」と書いてあるのに何故「神社」なのか。自分の方向音痴にもほとほと呆れてしまいました。
 休みたくてもベンチの一つもありません。それよりも鬱蒼としたその空間で、何か事故でも起こしても誰にも見つけてもらえないかもしれません。
 折角なのでお参りをして、あきらめて帰る事にしました。5円を賽銭箱に入れ、先生と御縁がありますようにと二拝二拍手一拝。ガラガラを振ってみたけど鈴の音はしませんでした。

 神社のすぐそばにはバス通りがあり、そこから帰れば道順もはっきりわかります。
 でも、この付近に絶対にお寺があるはず。先生の葬儀をしたお寺が。
 先生が亡くなったのは私が就職した年でした。もう10年以上も前の事。
 列席は、しました。
 だけどその後、10年以上もお墓参りもせず、お線香の1本もあげず。

 どうして記憶があるうちに来なかったんだろう?
 もう少しだけ、歩いて探しながら帰る事にしました。

 バス通りを使わず、裏の道を歩いて行くと、そこにお寺がありました。
 でも記憶はありませんでした。葬儀はここだった、かも、なぁ、と言う程度。


 先生の家は、そこからほど近く、坂を上る最中にありました。


 表札に先生の苗字と、もう一つ別の苗字。
 記憶の中の、子供達で遊んだ広い芝生のお庭には、覚えの無い家が建っていました。
 いや、でも、先生には娘さんがいらっしゃった筈。ここに住んでいらっしゃるとしたら…

 心ははやりましたが、散歩のつもりで出てきたので、お花の一つも持っていません。
 私は出直す事にしました。


 8月11日。
 誰もいらっしゃらない時の事も考えて、手紙を書きました。
 また、同じ苗字の関係ない家かもしれません。失礼の無いように考えて書きました。

 インターホンを押すと、幸い御家族の方がいらっしゃいました。
 「先生の御自宅でいらっしゃいますでしょうか」
 自分は稚拙だな、言葉を知らないな、と思います。だけど出来るだけ丁寧に、突然訪ねた事を詫びながら、お線香をあげさせて下さいと申し出ました。
 御家族の方、先生の娘さんは私を家にあげて下さいました。
 そして何と、「確か御父様とお二人の…」と、顔はわからずとも私を知っていました。
 先生は私の事を御家族の方にも話すほど心配して下さっていたんだなぁと思いました。

 仏壇には先生の遺影。懐かしい笑顔がありました。
 遺影なのに何故か「元気そうで安心」してしまいました。

 遺影の前には先生が誰かにあてた葉書が置いてありました。多分、受け取った方(おそらくは先生がボランティアでお世話をしていた子供さん)が、最後にいただいた文面だからと持ってきて下さったものでしょう。
 懐かしい先生の筆跡。その葉書の最後は「大好きな○○ちゃんへ」とくくられていました。
 そうだ、先生は子供達みんなに「大好き」と言ってくれてた! 私も沢山言ってもらった。
 それだけでいいんだと思った。私もお腹に向かって沢山「大好き」と言おう。

 そして、先生の娘さんと少しお話をしました。
 私のお腹を見て、「予定日はいつですか」と聞かれました。
 「実は、今日です。」

 先生、間に合って良かった。沢山の報告があるよ。父が亡くなりました。結婚しました。もうすぐお母さんになります。
 先生も一緒にこの子を育ててくれますように、空から御指導下さいね。



平成20年8月8日 (金)ゲーム 100

DS買った

 お産に向けて、歩いた方が良いって言われるからさぁ。
 私みたいな完全インドア派の人間も、とりあえず歩いて体を動かしてます。

 隣町まで歩いて、30分はかかるだろうと思ってたら20分も経たないうちに着いちゃった。私って足が速いんだろうか?(んな訳ないない)


 隣町でゲームを買いました。 ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣。
 ファイアーエムブレムと言うゲームシリーズは割と皆さん御存知なのですが、最初のシリーズはと尋ねると「紋章の謎」と答える方が多く、それはファミコンからスーファミへ移行する際に出たリニューアル作品、及び「紋章の謎」の部分は続編であり、最初のシリーズはあくまでも「暗黒竜と光の剣」です。

 その暗黒竜がリニューアルされたらしいので、同じゲームであってもそこはエムブレマー、買っておかねばとDS本体を購入。
 私はこのシリーズしかゲームをしないのですが、何せ天下の任天堂。今迄のシリーズも、ゲームボーイアドバンスで出ると言われたらアドバンス本体を買い、ゲームキューブで出ると言われたらゲームキューブ本体を買い、wiiで出ると言われたらwii本体を買い、家にはファイアーエムブレム専用機があふれています。

 しかもやる時間なんてあるか謎。
 それでも新しく買ったDSはピカピカで、何となく嬉しいです。



平成20年8月6日 (水)訃報 100

ナンセンス・ギャグ

 それを「ナンセンス・ギャグ」と言うのかはわからないけれど、私はバカボンのパパが昔から嫌いだった。
 何を言っても話が噛み合わない。わざとなのか?って思うくらいイライラする答えが返って来る。そして物事は解決しない。

 だけど、赤塚不二夫さんが大御所だと言うのはわかる。
 嫌いだ何だと言いながら、そのギャグは私でも知っているし、子供は大喜びだし。

 ただ、赤塚不二夫さんと私の共通点は2つあって、1つは猫が好きな事、1つは酒が好きな事。それだけでやっぱり淋しく思う。
 それでいいのだ。


7月も読んでくれるの?