エアシップ オン ザ スタジアム (10)



レイカーズ筋力選手に3日間の試合出場停止
 先日繁華街で騒ぎを起こした同選手に、レイカーズは3日間の(公式戦だけでなく2軍戦においても)試合出場停止処分を決めた。事のいきさつはどうであれ、厳重な処分に他球団も注目している。



 事実上、週末の金曜日から復帰するのだろうと思う。
 そうなれば、すべて終わる。
 何もなかったのだ。…夏、全てを忘れて、元通り。

 出須子は昼間しかいないし、昼間は寝ているしで、あたしの事は放っておく。あたしは出須子という心強い味方の中で、1人になる時間をもらっていた。
 まったく、頭が下がる。出須子の心遣い。
 いつまでも甘えちゃいけないと解っているのだけれど、何もする気が起きなくてダラダラしている。葛藤の中で、とりあえず部屋を探そうか…。
 今いるアパートは出ようと思う。会社に近いアパート。
 会社に…2軍球場に、筋のいる寮に近いアパート。
 少し貯金でリハビリしよう。仕事を探すのはその後だ。

 気付けばもう木曜日だった。パリーグのない木曜日。
 新聞には昨日の試合結果が載っている。無意識だ、あのチーム名を探すのは…。
 8月のアウェイで、なんとか踏ん張っていた筈だ。3強3弱から4強2弱へとのし上がったと言っても過言ではない、4位ながら首位と6ゲーム。
 …だった筈だ。
 筋がいなくなったから、なんてヤワな理由じゃないだろうが、新聞の中のレイカーズは首位に10ゲーム離されてしまっていた。Bクラスも確定だろう。
 レイカーズの正捕手は未だに怪我が完治せず、その上筋まで出場停止。

 …あたしは筋に…ファンの皆に何て言って謝ればいいのだろう?

 そしてあたしには筋以外にも確実に迷惑をかけている人がいる。
 邪子だ。
 いや、邪子は表に出ないだろう、しかるに迷惑を掛けるのは実質的に似蛭田だ。
 火曜発売の週刊誌記事、2人の仲はいずれ記者会見をひらかなければならないところまで来ていた。かたや世界チャンピオン、かたや大人気セラー書の翻訳家。
 そして、食らいつくなら学生時代の半端な行動だ。
 確実なウラはとれていないのだろう、そもそもあたしと筋の関係は高校時代には皆無に等しい。だから記事も曖昧ではあるが、
「お相手、天野邪子嬢と、最近話題になったレイカーズの筋捕手の同伴相手(喧嘩に仲裁に入り逆に殴られた筋選手の連れ添っていた女性が、喧嘩をしていた女の人を殴ったとの噂)とは旧知の仲らしいのだ。」

 ごめん、邪子。…ごめん、似蛭田。
 あなた達の幸せの第一歩にさえも泥を塗ってしまった。

 どうすればいいのかなんて、あたしが聞きたいくらいだ。



 TVをつけると野球のグラウンドが映る。あたしはドキッとしたが、今日はパリーグのない日だ。セリーグの中継の筈。
 あぁ、チャンネルから言って雲童のチームのゲーム中継だ。
 まだ試合前で、スポーツニュースではインタビューをしていた。
「今日はァ、今年も絶好調の雲童投手とぉ、ルーキーのキャッチャー○○さんと対談したいと思いまぁす。」
 見ようと思えば雲童は沢山TVに出ていたはずなんだけど、夢中になっていた人がいたから、まだ数回目だった。
 まさかその数回目を、こんな気持ちで見る事になるとはね。
「シーズンも終盤ですねっ、今年の調子はどうですかぁ?」
 …いたたたた。この女の子は何だね。
 雲童のいる球団は人気があるからアイドルを使って番組を面白くしようとしてるのかも知れないけれど、こ、この子はひどい。これじゃぁ雲童にもこの新人キャッチャー君にも失礼だよ。
 生放送。雲童も怒る訳にもいかないし、それでも一応インタビューになっているから、あたしはいいものを見たと解釈する事にした。
 そのインタビューは野球の事はそこそこに、女性ファンのための質問へと変わる。
「雲童投手は恋人はいるんですかぁ?」
 ま…また、ストレートな口のきき方でございます事。
 雲童、苦笑い。そりゃそうだ。
 ま、その後もどんな女がタイプだとかってのをタメ口で訊くアイドルちゃん。
 そんなアイドルちゃんが、ポロッと口を滑らせた。

「気をつけないと、暴力沙汰とかになっちゃいますよ〜。」

 この女、TV局の前で待ち伏せしてやろうか。

 しかし、その時だった。
「心外だね。」
 雲童は突然不機嫌な表情になって、番組に緊張が走る。
「マスコミがくだらない記事書いてプライベートまで干渉し過ぎるせいで、球団側も今は処分をしなきゃいけないんだろうけど、レイカーズは痛いだろうな。あいつなしで戦うなんてさ。」

 雲童は変わっていない。
「あの男は、この俺の女房役だった男だぜ?」
 言ってもいないセリフが簡単に想像出来る。
 雲童はいつでも、傲慢で、高飛車で、スーパースター。

「俺は日本シリーズへ行くつもりだし、そん時にゃ、あいつのリードも崩してやるつもり。勿論、相手があいつじゃなくてもね。」

 流石雲童、わかってる。事なきを経て、インタビュー番組は終わった。

 信じてくれる人間がいる。待っててくれる人間がいる。
 雲童、ありがとう。待ってて、筋はすぐに帰って行くよ。

 同じ高校を出た人達が頑張っている。強い絆。
 その中に…あたしも入れて欲しかった。



 夜中の1時を過ぎて、マンションの鍵が回った。
「っは〜、少し早目に帰してもらっちゃったぁ〜…。加代、久し振りに2人で飲…。」

 しまった。こんなに早く帰ってくるとは思わなかった。
 あたしは急いで顔を隠す。
 もう、何枚シャツを濡らしただろう。何回洗濯しただろう。
 自分の中の水分は毎夜流しても無くならない。生きている。こんなになっても生きている。

「加代…。」
 出須子は買って帰ってきたコンビニ袋の中からカクテルを出してあたしに1本置くと、自分でも1本取り出してカシッと瓶の蓋を回し、あおるようにグッと飲んだ。
「しっかりしなよ。」
 それは初めてあたしに対する叱咤だった。
 あたしはただただ、下を向いて頷く事しか出来ない。ここで何を言っても「だってだって」だし、しっかりしなきゃいけないって事も解ってるんだ。解ってる、全部解ってるつもりなんだ!

 あたしの涙が落ち着いた頃、出須子はもう何本か空けていて、あたしの前に置いてくれていた1本を奪おうとした。
「あ。」
 あたしが声を漏らすと、出須子はその瓶を開け、もう一度あたしの前に置いた。あたしもあおるように流し込む。
「あんたらしくないわね。そんなにあの男が好きだったの。」
「…ん。」
「どこが。」
「…ん…?」

 あれ、あたし、筋のどこが好きだったんだっけ?

「…声、かな…? 言い回しとか…、立ち振る舞い…とか。身長も、肌の色も、…あ、腕! 汗、髪の毛…首筋、…体…。」
 出須子は呆れた風に笑った。
「なぁに、それ。全部って奴じゃない。」
「え? …と…。」
「随分と惚れ込んだわね。」
「…わかんない。どうしてこんなに好きなのか、自分でもわからないんだ…。」

「運命って事でいいんじゃないの。」

「…。」
「あんたにはあの男しかいなかったって事でしょ。」
「何言ってんの? は、恥ずかしい…そんな…。」
「今更よ。メールくれなくなった時から、そうだと思ってたのよ。」

 出須子はあたしより確実に大人の女だ。あたしの知らない色恋沙汰も存分に知っている。
 だけど本気で羨ましがっているのはあたしにも解った。
 焦りとか余裕とか仕事とか人生とか…自分とか。女には色々あるんだ。
 静かに、とても静かに出須子はあたしを羨んだ。
 それはやはり、…運命、なのだろう。

「…加代。けじめつけて来な。」
「…。」
「明日、復帰なんでしょ? ちゃんとその目で見て、終わりにしな。」

 ドームに行けばファンの友達とも会う事になるかもしれない。だけども出須子の言う事ももっともだ。外野を避けて、2階席の内野自由とかなら見つからないだろう。

「…うん。」

 終わりにしよう。





 次の日、朝食の支度をしている時に出須子は言った。
「あら、今日、このマンションの整備の日なんですって。2時過ぎに業者さんが入るから、どうにか部屋を空けて下さいって。急に言われてもねぇ。」
 出須子の手には朝刊と小さいチラシ。ふうん、マンションってそんな事もあるんだ。
「私は今日はお店に早目に行かなきゃならないからいいんだけど…、加代、どうする?」
「あぁー、あたし? そりゃ、大丈夫よ。迷惑はお掛けしませんって。」
 そうだなぁ、2時。ちょっと早いけど…。
「ショッピングでもしてきたら?」
「ううん、お金無いよ。ドームも開場が4時だから丁度良い位だし、今日は野球オンリーで、けじめをつけます。」
「そう。頑張りなさいな。」
「ん。」

 そうしてあたしは2時前にマンションを出た。
 駅で今週の芸能雑誌を買った。昨日の似蛭田の会見(勿論同棲の、そして彼女の友達が私だという事)が載っているはずだ…が、読む気にならない。怖くてTVでも見れなかった。何を言われているか、何を書かれているか…。
 雑誌を手にしたまま、ドームの最寄り駅に着いてしまった。開場までもう少し時間がある。少しプラプラしよう。

 もうここに来る事もないんだろう。あたしは白く丸い屋根を見た。

 その町を少し散策をしてみる。大きいホテル、隣接した遊園地、お土産屋、本屋。そして、不動産屋さんの前であたしはウィンドウを覗き込んだ。
 この期に及んで筋が行こうとしていた××町で、しかも格安の部屋を探してみる。心のどこかで偶然の再会を期待してみたりして。
 …あっ。
 これ、いいかも。6万。…築35年、しかも1部屋だけど。
 なんてね。もう、やめなよ、あたし。



「いくら位で、探しているの?」

 聞き慣れた声が後ろから聞こえる。


 あたしはすぐに逃げようとした。持っていた雑誌がバサッと落ちる。だけどその声の主はウィンドウにあの大きな手のひらを押し当てて、あたしの逃げ場を無くした。
「何部屋くらいで?」
 聞き慣れたその声は息を切らして質問を続ける。
「違っ…、結婚…するし…。」
 あたしは顔を上げられない。

 彼は息を整えつつあたしに話しかける。
「ねぇ、一つだけ腑に落ちない事があるんだ。僕は割とひっぱってレフト方向に流すのが得意なんだけど、ライトポール際にファウルを打った事なんて公式戦では1度しか無いんだよ。大場さん、それを見たって言ったよね。」
「…?」
「その日はね、君が、彼と一応町の花火大会に行ったって日なんだけど。どうして知っているのかなぁ。」
 そうだ! あれ、御女組の皆にわがまま言って、ドームに駆けつけた時に見たんだ。
「…け、携帯のメール速報…で…。」
「ファウルを?」
「…。」
「応援に来てくれてたんだよね? もの凄い点の取り合いのゲームだった。その後の僕のホームランもその場で見ててくれたんでしょう? …結婚するなんて、嘘なんだよね?」

 あたしは顔を上げられない。

「僕も今年で寮を出なくちゃいけないんだけど。」
「…。」
「大場さん、…、一緒に住んでくれるなら、全額出してあげるよ。きっと君よりはもらっているからね。」
「…ひ、うっ…。」
 筋は、いや、声の主は大きくて暖かい手のひらであたしの頭をなでて、もう片方の手であたしをくるりと向き直させる。
 あたしはひくひくと涙をしゃくっていたから、まだ顔を上げられない。

「大場さん。僕は塊みたく天才じゃないんだ。でも、努力する事は知っている。努力が全て叶うとは言わないけど、頑張るから。だから、ずっと応援して。」
「ううっ、ううう〜…。」

 涙も鼻水も。

「…、大場さん。…ねぇ、僕の言っている意味、わかってる?」
 その人はそっとあたしの涙を親指で拭った。
「それとも、ねぇ、耳まで真っ赤なんだけど、…酔ってるの?」
 …あたしは、精一杯首を横に振って、子供みたいに筋のシャツを握った。

 やれやれと、あのいつものクールな溜息。
 あたしを優しくなでてくれる黒く焼けた腕。
 筋は、両手の、あの大きな手のひらであたしの肩をつかむと、力強く抱き寄せた。



Your Favorite Song! / Produced by Yourself!




For example / 速水けんたろう , ファイターズ賛歌





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坂上二郎とユニコーン , デーゲーム





エピローグ

 あたしはうえんうえんと涙を止める事が出来なかった。会いたかった、筋。
 そして、伝えたかった、好きだと。

「ねぇ大場さん。僕のシャツ使って良いから、涙を拭き終わったら一緒にドームへ行ってくれるかな。あと2時間でプレイボールなんだけど、実はこんな所にいることが野球連盟にバレたら八百長だ何だ、君を養うどころかクビなんだよね。」

 あたしは必死に頷いて、お言葉に甘えてぐしゃぐしゃの顔を筋のシャツで拭いた。

「…あっ、は、鼻水まで…は…。」
「ううっ、(ずるっ、)あたしが洗ったげるよ。だから、うっく、よろしくね。」



METROFARCE , 東京暮色 , LIMBO島
真心ブラザーズ , FLY , 夢の日々
真心ブラザーズ , 明日はどっちだ! , 真心




そしていくつかの知られざるエピソード



「放送席、放送席、今日のヒーローは土壇場の逆転ホームラン、筋選手です。」
(沸き起こる拍手、帽子を取る筋。)
「0対0の均衡が破れた8回、そしてその裏に同点まで追いついてのバッターボックスでしたが、どんな気持ちで立たれましたか。」
「もう、夢中でした。このまま繋げなくてはと思ってたらスッポ抜けの球が来たので、思いっきりひっぱったら、よく伸びましたねぇ。」
(沸き上がる拍手)
「9回、相手は1番からの好打順で、どのような点に気を付けましたか?」
「いや、抑えのタテヤマさんの調子が良かったので、リードは反対にタテヤマさんにしていただきました。」
「これでチームも連敗脱出(沸き上がる拍手)、チームはどんなムードでしょうか。」
「あ、それはもう…。シーズンもまだ終わっていないので、ここで離されてはならないと、やる気満々です。」
(沸き上がる拍手)
「最後に、ファンの皆さんに一言お願いします!」
「御迷惑、御心配お掛けしました。チーム一丸、最後まで戦い抜いて行きますので、暖かいご声援、宜しくお願い致します。」
「今日のヒーローは打撃にリードに大活躍の、筋力選手でした!」

 外野へ走る筋、マスコットぬいぐるみを放ってファンサービス。
 大きな声での野次。
「筋ィ! 加代ちゃんを幸せにしてやれや!」
 聞き覚えのあるその声は、自分を雇ってくれた人の。
 筋は足を止めて野次に応戦する。大きな声で、
「まかせろ!」
 筋は帽子を取って笑い、走ってベンチへ帰って行った。




BUMP OF CHICKEN , キャッチボール , jupiter


 似蛭田妖、天野邪子との記者会見にて(大場の落とした雑誌の内容)

(前略)
「天野さんは、お友達の件で騒がれていらっしゃるようですが。」
「ああ、来ると思った。そんな事言ったら俺達だって昔は半端な事をやってた訳だし。でも邪子達も俺達も理不尽な手出しはしないぜ?
 それに…筋だって、あぁ、筋とも知らねぇ仲じゃねぇけどよ、何だ、謹慎処分だっけ? まぁ、球団からすりゃ仕方ねぇよな。だけども筋も仕方ねぇだろ?
 たまたま喧嘩の仲裁を買って出たって、見て見ぬフリよかいいんじゃないの。暴力沙汰? 何もねぇのにいきなり殴ったりしねぇよ。大場…、あいつはあいつなりに理由があって殴ったんだろ?
 筋だって大場の事、昔っから良く知ってんだし、そんな事くらい腹くくんねぇであの女と付き合っている訳じゃあるめぇ。
 男と女なんだからよ。最初から覚悟は決めてんだろ。」


METROFARCE , 夜のポストリュード , 俺さま祭り


「あ、もしもし、お世話になります。○○社の××と申しますが、大場様いらっしゃいますでしょうか。
 退職!? ですか! あ、そうですか…。
 え!? 結婚!? って、あの野球選手とですか!?
 うっわ、やったよ加代ちゃん! あ、いや、そ、そうなんですか。
 いや、困ったな。あ…っと…。ちょっとお願いしたい発注がありまして…。いやぁ、少し複雑な注文なんですよね…FAXで伝わるかなぁ…えっ? あ、そうですそうです。資料がそちらに残っていらっしゃるんですね? それは早い、はい、その通り、大至急、発注お願いしたいのですが。
 しかし、まさかそんなに詳しくお仕事を引き継いで下さっているとは思いませんでした。本当にこれからもお願い致します。いえ、こちらこそ!
 そして、加代ちゃんに伝えて下さい。お幸せに、と。」



くじら , カラス , MIX



 ラジオでは今夜の日本シリーズへの意気込みを、先発であろう雲童塊投手にインタビューしている。
 うららかな昼下がり。
 河川敷の、囲いのないスタジアムでは少年達がプレイボール。

 あたしの横で穏やかに寝息を立てる人は、雲童投手と相まみえる事はなかったのだけれど。
 まぁ、そのうち、いつの日にか。まだまだこれからと言う事で。

 土手に秋の涼しい風が吹いた。
 何か掛けてあげようかな、と思った時に、その人はおもむろに体を起こす。
 野球観戦。辛口の解説付き。本当に、子供の試合に辛口な。

「あ。」

 川の向こうのデパートから、空に大きなアドバルーン。

「優勝セールだぁ。秋物のカーディガン欲しいなぁ。」
「君、ちゃんと試合観てるの? あ!」

 続く子供のホームラン。

 エアシップ・オン・ザ・スタジアム。

 私達も始まったばかりです。


桜井秀俊 , Airship On The Stadium , INTERIOR






20030805〜20030820 ナガレバヤシ , 20030928up


最後までありがとう!
感謝企画なんてあったりして。
参加してくれる人が大好きだ!