「蘆花恒春園」


国木田独歩は渋谷に住んで武蔵野を書きましたが、世田谷にはその独歩と親交があり、
「国木田哲夫(独歩)兄に与えて僕の近況を報ずる書」
を書いた明治時代の文豪、徳富蘆花が住んでいました。
蘆花はその著「みみずのたわごと」で、
「家を有つなら草葺きの家、そして一反でも可(いい)、己が自由になる土を有ちたい。」
とありますが彼は、
東京府下北多摩郡千歳村粕谷
現在の世田谷区粕谷でそれを実現させました。さらに
「一方に山の雪を望み、一方に都の煙を眺めるわしの住居は、即ち都の味と
田舎の趣とを両手に握らんとするわしの立場と欲望を示している。」
とあります。
彼はそこで”晴耕雨読”を実践したのです。
蘆花が死去するまでの20年間住んだ家が夫人により東京都に寄贈され、「蘆花恒春園」となり、
「蘆花記念館」を含めて一般公開されています。
周囲一帯は開放公園となり、児童公園や花の丘区域もあります。
そこには、武蔵野の面影を残す雑木林や竹林も保存されています。

蘆花記念館
「都立蘆花恒春園」
世田谷区粕谷1−20−1
京王線芦花公園駅・八幡山駅から徒歩約15分
京王線千歳烏山、小田急線千歳船橋駅間のバスで芦花恒春園前下車徒歩約7分
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