岡本民家園について
瀬田2丁目の長崎孫好家主屋の寄贈申し入れがあった世田谷区は、昭和52年4月に世田谷区文化財保護条例を制定し、区民自らが文化財を守っていくことを決めた。同年8月、その長崎家を条例に基づき区指定有形文化財第1号として指定し、受贈後解体保管した。
ここから、長崎家を世田谷区としてどう受け入れるかと言う課題との取り組みが始まった。この課題は、単に古民家をどう保存していくかと言った問題だけでなく、今後世田谷区の文化財保護をどのように進めていくかという問題として捉えられたという。
長崎家を保存することは、区内すべての民家の代表として保存を図るべきとして、世田谷区古民家調査団により、世田谷区に現存する古民家の詳しい調査をはじめ、民族や歴史などの各分野についての調査が、庶民史を浮き彫りにしながら、記録・保存された。
昭和56年に区内全域の古民家悉皆(しっかい)調査が終了した。調査の結果、約115件の古民家の所在を確認し、その調査結果は「世田谷区の民家ー第一輯(しゅう)〜第三輯ー」として出版された。
昭和54年度より、解体保管されていた長崎家の復元工事が始まり、調査の結果を生かした計画が進められ、昭和55年12月に一般公開されるにいたった。
日本の古民家については、世田谷に住んだ洋画家故向井潤吉が多くの名画を残していますが、彼の言葉に、日本の古民家は都市部より地方でその消失が著しい。今ある風景が、この次来る時はもうないと思っている。という主旨の言葉があります。いまある民家は”残った”のではなく、所有者の方が努力して残してきたものです。その志を受け、区が文化財として保存・公開したのです。
私たちの心のふるさとがこうして保存・公開されるに至りました。
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