次大夫堀公園(ジダイユウボリコウエン、ジデユウボリコウエン)
この公園は、その名のとおり次大夫堀にちなんだものです。次大夫
堀は、徳川家康の命により駿河国出身の小泉次大夫吉次が1597年か
ら1609年にかけて開発した用水です。その当時未開の地であった多
摩川左岸の世田谷、大田区の南部に新田を開発するため
のものでした。(右岸にも同時に用水が掘られたそうです。)
完成後400年もの長い間、周辺の農地や庶民生活のため重要な用水でした。
しかしこの次大夫堀も、戦後の急激な宅地化による農地の減少に伴
い近年その機能と役割は終わり、昭和30年ごろから断続的にふたを
され、道路化され一部が昔の面影をのこすのみでした。
そこでこの流跡保存と付近に残っている農地を買収し、農家に依頼
してそこで営農してもらい、世田谷の原風景の復元をはかり、人々
の暮らしと武蔵野の自然が一体となって織りなす美しい世田谷の風
景をいつまでも後世に伝えるための新しい親水公園にしようという
目的でこの「次大夫堀公園」ができたのです。
世田谷の原風景を構成する大きな要素として、古民家があります。
大正、昭和時代に、私たちの住む民家が大きく変わりました。それ
までの民家が「古民家」と呼ばれている古い形式の家でその特徴は
茅葺屋根、広い土間、太い柱そして中央にある「いろり」、台所の
大きなかまどなどでしょう。現在の家は、コンパクトで外観美しく、
広い窓、明るい室内、安全で便利な設備。古民家に比べたら比較に
ならない居住性だと思います。それでも、古民家には、私たちが忘
れてしまった捨てがたい良さを持っています。外部の自然環境と居
室との中間的な空間である、広い土間や縁側。
屋根の萱に虫がつかないように、煙でいぶすための囲炉裏の火。
かまどで炊くご飯。そして庭や土間の土。
「次大夫堀公園」には、最近急激に減ってきた世田谷の古民家が
数件解体され、再現されています。