神様の日常


基本的に管理人にとって「神様」とは藤子不二雄を指すのですが、
この日記では自分のことを神様と呼んでみたり、広義的にこのサイトの事を指したりします。

神様は多趣味なので、興味のない日記は読む時間を無駄にしないように
右上の構成要素で確認できるようになっていますからね。

8月に子供が生まれ、その話題ばかりになっておりますが、お付き合い下され。



平成20年10月31日 (土)偽善 100

悲しいニュースについて思う

 どうせ日付改ざんの10月日記なので、最近 (もう12月30日ですよぅ) 思うことを書きます。

 子供が生まれて変わった事の一つに、世の中の子供に関する事件、とりわけ凶悪な、子供が殺されてしまうような事件に憤りを感じるようになりました。
 そりゃぁ以前から悲しいニュースを見る度に「子供を殺すなんて!」って怒りはあったけど、常識的な通念よりも更に身近に感じられるようになったのだと思います。

 加害者が男性や子供を持たない女性の場合、「この人(加害者)は子供がどんなに可愛いかを知らないんだな」と思うようになりました。私も昔は子供が大嫌いだったからです。それは、身近に赤ん坊がいるかいないかでも変わると思います。振り返って考えてみれば、私の生きてきた周りにはほとんど赤ん坊はいなかったんだよね。
 ところが、子供を産んだ事のある女性が子供を殺す事件もあって、いたたまれない。

 あるお母さんが幼い赤ちゃんを放置してしまった事件がありました。事件の内容は詳しく覚えていないのですが、何よりも強烈だったのはテレビのニュースから流れてきたその事件の判決文でした。
 「母親が子供を糞尿まみれで放置した罪は許しがたい」
 「糞尿まみれ」と言う単語を人間の赤ちゃんで使うなんて、愕然としました。
 確かに赤ちゃんは自分じゃ何も出来なくて、私が何もしなければこの子も糞尿まみれになる。死ぬのだって(殺すのだって)簡単な事なのかもしれないと頭によぎると、怖くて悲しくて仕方がありませんでした。

 怒りも悲しみもとりとめなく。


9月も読んでくれるの?