蕎麦屋の隅で(1)
「あぁ…、これはこれは、似蛭田“探偵”。」
やれやれ、冷やかな対応だね、いつもいつも。
「…どうも、雲童警部“補”。」
元号が昭和に変わり、世の中もモダンに変わりつつある時代。
だが、世の中がどんなに変わろうと人間は変わらない。貧富の差、それはそのままお金の貧しさを表わすが、もっと根底の…心の貧しさも変わらない。
「まったくお前も暇だな。一体どこから聞きつけて来るんだよ毎度毎度。探偵っつうのは事件の追っ掛けでもやってんのか。」
「最後にゃその暇人に泣き付いて来んのは一体どこの役人だろうな。」
「何だと! 俺がいつお前に泣き付いたってんだ!」
「ほう! そいつぁ面白ぇや雲童! てめぇが…」
「…君達ねぇ。僕の家で死人が出たってのに、騒ぐのは止めて貰えないかな。」
一応町の旧家、切出邸でメイドが死んだ。納屋の2階から落ちて、打ち所が悪く頭部を割ったとの事だった。
これが事件であるか事故であるかは駆けつけてみないと分からない。俺は雲童の部下から連絡を受け、とりあえず仲間をかき集めて駆けつけた。
切出邸の離れの納戸は1階が車置きになっていて2階が物置になっている。2階に上るには立てかけてある「はしご」を上らなくてはいけない。そのはしごは2階にやっと届くか届かないかの長さしかなく、とても不安定そうだ。
その下におびただしい血と死んだメイド。
成程、中途半端なはしごから足を滑らせでもしたのだろう。
まぁ、事故だろうな。俺の出る幕じゃない。
「で、切出。事故のあった夜、お前は何を?」
雲童が切出に尋ねた。
「僕を疑うの?」
「違うって。警察は全員に調書をとらなきゃいけないの。」
「ただの事故なのに…。
部屋にいたよ。誰か証明してくれる人なんかいるかなぁ。
僕は納屋の事は自分の家であってもよく知らないんだ。一階は車置きとして出入りするけれど、二階は爺やの好きな様に使わせていたから。物置になっているって事だけど、何があるかまでは知らない。
さっき、7時頃かな。余りにも大きい音がしたから見に来たんだ。今日は爺やも出掛けているから僕しかこの家にいなかったんだ。あ、ごめん、僕とメイド達しかいなかったんだ。そうしたら彼女が倒れていて…。」
「大きい音って、どんな音だ?」
「ドシーンって、多分彼女が落ちた音だよね。」
「それで切出、警察に連絡する前も後も、お前は何も動かしたりしていないか。」
「勿論。怖くて触る事もできないって。」
警部補に昇進したばかりの雲童は必死な顔をしてふんふんとメモを取っているが、その鉛筆の先は聞きたい事があっても聞き出せずにオロオロと空を切っているばかりだった。
(まったく仕方ねぇなぁ。)
「で、切出。お前、そのメイドとは何の関係もなかったんか?」
雲童はパッと顔を上げ、照れながらも「それだ」と言う顔をしている。
「無粋だな、似蛭田君。」
切出はムッとする。
「いや失礼。探偵なんてヤボったい商売だからな、第一発見者の女関係くらいは聞いておかないと。」
「…可愛い娘だったよ。でもそれだけだ。こんな答えでいいかい。」
「結構ですとも。」
切出は憮然と答えた。雲童は切出を気遣い、話し掛けた。
「切出、お前、どこぞのお嬢さんと縁談があったんだろう? 祝い事もあったってのに…何だか災難だな。」
切出子爵家の縁談の話はこの小さな一応町で知らない者はいなかった。
「あぁ…、その話は破談になったんだ。」
「えっ、そうだったのか! …いや、悪い事を聞いた、すまん切出。」
縁談なんて家と家の策略。破談になる事なんて貴族の中ではとりたてて珍しくもないのだが、まぁ表立って公表する事ではないだろう。
「似蛭田は…知っていたのか?」
雲童は小声で聞いてきた。
「ん、あぁ、まぁ…。」
切出は由緒正しい子爵家の跡取りで、俺はしがない成り上がり実業家の息子だ。家柄の差はあれど社交界に父が赴き、互いに色々な噂は耳にする。
相手の女性の家は没落貴族。金と引き換えに娘をくれてやると言うよくある話。何故断られたと言えば金が合わなかっただけだろう。
「う…ん、踏んだり蹴ったりだったな。でも、ま、元気出せ。」
雲童はなんとか切出を元気付けようとした。死人を前に笑える筈もないが、切出は「有難う」と貴族らしく微笑んだ。
事故とは言え、悪い事には悪い事が重なるものだと思う。
警察も実況見分を終えて引き上げる頃になる。
「俺達もおいとまするよ。」
「おう。御足労だった、似蛭田探偵殿。じゃーな。」
敬礼をしたかと思えばじゃーなと来たもんだ。友達なんだか、仕事なんだか。
俺達は帰りに蕎麦屋に寄った。
仕事で外に出た後はここで一杯やるのが日課だ。
「あら似蛭田の探偵さん! どう、儲かってる?」
女将の出須子が声をかける。
「いや。」
女将は笑っていつものぬる酒を差し出した。
「ただの事故だったなぁ。」
仲間の堅作がやれやれと溜息をつく。
「いやいや事件の香がしますよ。あの切出の事だ、メイドに迫ってたりな!」
ニヤニヤ笑って面白がる乱人の一言に、堅作も田打も乗じて悪ふざけが始まった。
「おーおー、『おやめ下さいぃー』なんつって!」
「んで、抵抗したもんだからカーっときて…」
「鈍器でドン!」
「はしごから落ちたように見せかけて納屋の2階からドン!」
「うっひゃぁ!ひっで!」
ガハハハと大声で笑う俺達に蕎麦屋の大将、臣也が注意をする。
「おいおい声が大きいって! 今日はお前達だけじゃなくて他のお客さんもいらっしゃるんだからよ。」
振り返るとそこには流行りの赤い帽子を深く被り、顔は見えないがその口元には真っ赤な紅をひいた、いかにもモダンななりの女が隅の席に座っていた。
「…大将、どうしちゃったのこのお店。すっげぇべっぴんさんじゃねぇの。」
乱人が小声で臣也に話し掛ける。
「最近たまに寄ってくれるんだよね。オシャレなファッション雑誌を読んでたりすんの。」
すると出須子が蕎麦掻を持って来てくれた。
「話し掛ければ気さくに応えてくれるわよ。でも、彼女から話し掛けてくる事は無いわ。」
男どもは話し掛けたくてウズウズしているが、女はこの汚い蕎麦屋にはあまりにも場違いだ。上品な洋服は一目で高貴な育ちだとわかる。その雰囲気に俺達が声を掛ける事は出来なかった。
「それはともかく、まぁ、今日のアレは事故だよな。」
話を変えるべく、俺は今日の事故の内容を臣也と出須子に話した。
「…成程ねぇ。2階から落ちただけで頭割るだなんて、よっぽど運が悪い。」
臣也が可哀想にと肩をすくめると、堅作は飛びつくように話した。
「そうなんだよな! 俺、あんな血、初めて見たぜ。」
「まぁ、頭だからなぁ。」
田打は大きな体にゆっくり酒を流し込む。
「…どうやって落ちたんだろな?」
乱人がぼそりと漏らす。
「あのハシゴだろ。見るからに不安定そうな。」
田打は答えたが、また黙ってしまった。
どうやったらあのハシゴから落ちて、どうやったらあんなに大量の血が流れるのか。
「ハシゴの途中で足を滑らせた…」
「登る最中にハシゴがぐらついた…」
「降りる時に…」
会話はぽつぽつと途切れ途切れで、また皆が沈黙してしまったところで、隅の女が立ち上がった。
やばいな、こんな事故の話なんか聞いてさぞかし気味が悪かっただろう。男どもは顔を見回している。
出須子は蕎麦の料金を告げると、俺達の困惑を察してくれて、
「綺麗なお洋服ね。東京の流行かしら?」
と女の身なりを誉めた。
女が俺の横を通る。髪を帽子の中に束ね上げた後姿から漂う色気は絶品だ。
「ただの贈り物さ。」
女はワンピースのスカートを出須子に見せ、しかし上品な言い回しではなく意外にも男言葉を使っていた。それもまた色っぽい。
「切出子爵様のメイドさんは、こんな西洋の服は、着ないだろうとは思うけどね。」
「!」
俺達はギョッとした。
やはり聞いていたのか。事故だの事件だの嫌な思いをさせてしまったに違いない。
「す、すまない。食事中に…。」
俺は立ち上がって詫びた。すると女は
「あぁん? 構わないさ。ただ…、こんなスカートをはいているのならともかく、和服でハシゴを登るなんてとても御転婆な事だと思ってね。」
振り返らずにそう言って女は蕎麦屋を後にした。
女は切出の家のメイドが洋服ではなく和服だと知っていたのか? いや、そんな事はどうでもいい。
事実、切出家のメイドは和服。ハシゴを登るにしちゃぁ、そりゃ、今の女のスカートと違って動きにくいに違いない。
「そ、そうだよリーダー! 着物でハシゴを登れる訳ないんだ!」
「と言う事は、転落事故ってのは…」
「やっぱり殺人事件じゃないのか!?」
勝手に話を進めていく仲間達を俺はたしなめた。
「まぁ待てよ。登れなくもないだろうよ。」
すると手のひらを返したように話が収まる。
「登れるかぁ。じゃ、やっぱ事故だな。」
その後も事件か事故かと憶測をしてみたものの、酒も入ってしまってはただの酔いどれ話で、それから1時間もせずに、今宵は解散する事にした。
家に着くと、下女が「お帰りなさいませ」と俺を出迎える。
「天野のお嬢様がお見えになっておりますよ。妖様のお部屋へお通ししておきました。」
「そうか。…って、邪子殿が? こんな夜更けに?」
俺は急いで部屋に戻った。自分の部屋にノックをして入る。
「失礼、…あ…。」
そこには女学校の制服に身を包む邪子殿がソファに座り本を読んでいた。
「お邪魔しています。」
「…どうしたのですか、もう10時を回ろうとしていますよ。女性が出歩く時刻ではないでしょう。」
しかも男の家にだなんて、と言おうとしたが、俺は言葉を飲んだ。
「ごめんなさい。お友達と劇を観に行って来ましたの。」
優雅に笑う天野男爵家の御令嬢。
先日、切出子爵の御子息との縁談を打ち切り、…そして、…。
今は俺の許婚だ。
「こんな時刻になってしまったものだから、その…」
「…俺の所にいたと言えば男爵殿にも言い訳がたつ、と。」
「そうなの。ごめんなさい。」
両手を合わせて謝りながら無邪気に笑う。
友人を、切出を裏切る形になっているのはわかっている。
「先程お手伝いさんが私の家に連絡をして下さいました。迎えが来る迄、この本を読ませて頂こうと思って。」
それは探偵小説だった。
「珍しい。女性の貴女が。」
「とても面白いわ。貴方も探偵を生業にしているとお聞きました。素敵ね。」
「…父が金を持っているお陰で、俺も好きな事が出来るだけだ。」
友人を裏切っている。そんな後ろめたさから、彼女が俺を嫌えば破談にでもなるだろうと自嘲した。
「幸せな事ですわ。」
邪子殿はまた、にこりと笑う。
俺なんかと一緒になってはいけないと言えばいい。
言えないのは、俺も男だ。こんな美人を娶るチャンスをどうして捨てる事ができよう。
「何か、事件はございませんの?」
邪子殿は好奇心の目を俺に向けた。
「…そうそうあるものじゃないですよ。」
切出邸の事故は隠しても無駄だろう。だが、俺が切出と友人で、しかも俺がその場に呼ばれたなんて事は言わないでおこうと思った。
不思議だ。俺はこの人と、本当に結婚するんだろうか。
外にガラガラと車の着く音がして、すぐに下女が迎えが来た事を伝えに来た。
「お気を付けて。」
「はい。」
にこりと邪子殿は微笑んで、大きな荷物を持ちあげた。
「玄関まで運びますよ。」
俺はその荷物を持った。
「ありがとう。」
今彼女は制服を着ているが、おおかたこの荷物の中身は私服だろう。やれやれ、着替えて遊びに行くだなんて、なかなかやるじゃないか。
ちらりと赤い服が覗く。
赤い帽子のあの女…。
俺ははっとした。
邪子殿の前で他の女を思い出してしまうとは…。
…いや、どっちも極上の女。今日のラッキーを神にでも感謝するとしよう。
2004/10/15〜2005/12/25 流林
20051231 とりあえず
いい加減、一旦アップします。
社会的・歴史的な背景は全然わかりません。すみません。私の妄想って事で全てを許して下さい。推理小説かって? んな訳ありません。ただの恋愛?妄想です。
「やってみたいから」で始めてしまったので最後まできちんと書けるか自信がありません。探偵だなんてややこしい事しちゃうからいかんかった。次のUPもいつになるか判りません。次のUPを早めるには皆さんの叱咤が必要ですが、それ以上に推理のシナリオを書いて下されば早いかと。
ところで皆さん、「許婚(いいなずけ)」「娶る(めとる)」って読めますか、書けますか。
私は知りませんでした。てへ。
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