エアシップ オン ザ スタジアム (9 夜のポストリュード)
「…加代ちゃん。」
あたしは病院にオーナーを呼んだ。久々に会うのがこんな事態だなんて。
「今、検査に入ってる。…ビール瓶で殴られて、…。お酒も飲んでるんだ。」
言葉もたどたどしく伝える。
「加代ちゃんは大丈夫なの?」
あぁ、こんな時にあたしの心配なんか。
「…筋が…っ…。ごめんなさい、ご…。」
「そこでちょっとだけ聞いたよ、加代ちゃんのせいじゃないって事も。」
「違う。あたしのせいなんだよ。」
あたしが御女組じゃなかったら、きっと仲裁になんか入らなかった。
呼吸を整えて、あたしは告白した。
「筋や雲童のいた腕組はスポーツ万能の集団で、期待されて当然の集団で…。こうやってこの世界にいるのは当然なんだよ、それなのにあたし、どうしよう、筋、これからなのに…ううん、もしも、もしも…。」
「加代ちゃん。しっかり。」
「あたしはね、ただの不良グループだったんだ。」
あの頃の人気や振る舞いは一応高校だったから許されたのだ。楽しい学校だった。居心地の良い高校だった。腕組だけじゃなく、あたし達もヒーローだった。
一歩外へ出ればただのチンピラまがいのガキ。判っていたはずなのに。
「舞い上がってたんだ、筋が、あぁやっぱり頑張ってんだなって。昔と変わらない世界にいるって、凄いなって。そんな筋としゃべって、歩いて、有頂天で、あたし…。」
「加代ちゃん…。」
「あの頃に戻れる訳ないのに! ケンカなんか、何で…、どうして!!」
「でも私は仲裁に入ったって聞いたわ。」
出須子が病院に入って来た。
「あれ、君は…。」
「お久し振りです、オーナー…じゃ、ないんですのね、今は…。」
夜中に駆けつけてくれる人なんて、出須子以外考えられなかった。出須子はお店を抜けて来てくれた。
あたしは顔を上げられないまま、出須子に抱きしめられる。
しばらくすると検査室から先生が出てきて、手に持っているフィルムを見せながら言った。
「レントゲンもMRIも頭には異常は見られません。ビール瓶が当たったと言うのは本当に頭でしたか? 首から肩に鬱血が見られるので、その程度で済んでいれば問題は無いのですが…。本人も意識が戻らないようですし、もう少し精密に検査をしてみましょうか。」
先生はまた、検査室に入って行った。
とりあえずの結果を聞いてまだ安心した訳じゃないけれど、頭ではなかったかもしれないと言う言葉はあたしに落ち着きを与えた。
「オーナー、…じゃぁ、あたし、警察に行って来るね。」
「警察って…。ちゃんと、しっかり伝えるんだよ、君も、筋も、悪くないって。」
「私が付いて行きます。筋君はオーナーにまかせますわね。」
出須子に支えられて、あたしは病院を後にする。
「オーナー。あたし、もう筋とは会わない。球団側に何て言ったらいいのかわからないから、後の事、どうしたらいいか教えて下さい。あたし、何でも謝るから。謝るから、もう筋とは会わないから。…許して。」
「加代ちゃん! かっ…」
病院の夜間ドアは冷たく閉まった。
警察から戻り、眠れぬ夜を過ごしても、木曜日も何喰わぬ顔で会社に行かなくてはならない。
いつもの朝、いつもの会社だ。
だけど、何も手に付かない。
…筋。あぁ、どうか…。
夕方、同僚がスポーツ新聞を買ってきて広げている。
「あーれぇ? 大場さん、この選手ってさぁ。」
そこには昨日の事件が小さく載っていた。
『レイカーズの選手、喧嘩の仲裁に入るも、殴られ病院へ』
レイカーズの若手捕手・筋力選手が、水曜日の夜、繁華街でビール瓶で殴られる事件が起きた。目撃者によると同選手は若い男女の喧嘩の仲裁に入り反対に殴られた模様。都内の病院へ運び込まれるも検査結果に異常はなく、2〜3日の静養の後、戦線に復帰の予定。
…良かった。
検査結果に異常は無かったんだ。
仕事の後は携帯は鳴りやまなかった。ファン友達からのコール。
あたしが一緒にいた事はばれてないと思う。でも、どう会話すればいいんだろう。一緒にいた事を説明しなくてはいけないのか? だとしたら何て謝ればいいのだろう?
あたしは電話に出られない。
でも、オーナーから連絡が入るといけないので電源も切れないのだ。
(あたしからかけるにしてもオーナーだって今は忙しい筈だ。あたしは報告や、これからの指示を待つしかない。)
しかし本当の悪夢は金曜日発売の写真雑誌。
『相次ぐ不祥事・プロ野球選手達の荒れた私生活』
どこかのピッチャーは女に会いに行って駐禁とられて証拠隠滅しようとしたし、またどこかのピッチャーは酒帯び運転でつかまってるし。どこかの監督は女を買って慰謝料だ、どこかの選手は脱税だ。
そんな派手なニュースではなかったけれど、最新の事件として筋の件は締めくくる様に記述されていた。
『なんともお人好しな事件ではあるが、そもそもシーズン中に繁華街へ出向き暴力沙汰を起こした本人にも責任がある。また目撃者の証言によると、同伴の女性が喧嘩相手の女性を平手で殴ったとの情報もあり、穏やかではない。』
朝からどこから嗅ぎつけてきたのか、会社へ雑誌社からの電話がチラホラと入っていた。そして私に回される。
流石に、会社の中で何も言われない訳がない。
お昼過ぎに私は社長室(と言っても小さい会社なので、低いパーテーションで区切っただけの一角だ)に呼ばれていた。
私は、人ひとり殴った事を、正直に告白した。
全ての責任は私にある。
勿論、終わった事だ。警察で彼女は私に謝っているし、私も彼女に謝っている。しかも彼女の母親まで出てきて私に頭を下げたのだ。片方の男の子は傷害の容疑でその場にはいなかったし、もう1人の男の子も黙ってうなだれて反省している風だった。
しかしそんな事を言った所で言い訳だ。全ての責任は私にある。
「少しの間、会社を休んでくれないか。」
会社側の、社長からの処罰はとても寛大なものだった。
確かにこれ以上この事件がどうなるのか分らない。このまま消えて行くのか、それともこれからもっと球団との賠償問題だとかに発展してしまうのか。
その寛大な指示に従っても良いのだろう。だけども私の結論は。
「いえ、辞めます。」
一度うえつけてしまった印象は、二度とは拭えないものだ。
隣にいた部長は残念そうな顔をしてくれて「休んでしっかり考えなさい」と言う。社長も「結論は急がなくていいだろう」と、つくづく私は良い会社に雇ってもらっていたのだと感じた。
パーテーションの外にでると、皆も心配そうにしていてくれた。勿論声はつつぬけだ。皆の前で、私は深くお辞儀をした。
「加代ちゃん…。」
受付の同期の女の子が声をかける。会社で一番仲の良い子だ。
私達は会社の外の喫茶店で話をする事にした。
終わるんだなぁ、と思うと、私は全てを淡々と語る事が出来る。
営業が辛かった時期に筋に会った事。初めて野球を見て感激した事。高校時代の期待のまま活躍している彼にどんどん惹かれていった事。
あたしは不良のグループだった事。
営業の先輩と二股だと分かっていて体のお付き合いをしていた事。どこまで本気かは分らないが結婚と言う言葉を出された事。
だけど、あたしは筋の方が大切だったという事。
全てをさらけ出した。
「加代ちゃん、筋選手に会いに行かなくていいの?」
「…もう、…会わない。」
「…そう…。」
あぁ、こんなところは河川さんに似ているかも知れない。静かに、穏やかに受け止めてくれている。彼女は多分、言わなくて良い所までは誰にも話さないだろう。
会社に戻って、私は机の上を片付け始めた。会社からいなくなる訳だから、とりあえず仕事の引き継ぎをしなくてはならない。
目の前の席に先輩、…あの男がいる。今ここにいる人達の中では一番偉い人だ。
「すみません、これ、資料をまとめておきましたので…」
しかし彼は私を無視している。
「あの、すみません。」
ほかの営業さんは彼のおかしい態度に気付いてこっちを向く。
「結局、俺は二股をかけられてたって事か?」
彼は私と目を合わせずに、しかしはっきりと吐き捨てる様に言った。
「俺、だまされてたって訳?」
…。
「ったく、やってくれるよな! そりゃ金持ってる男の方がいいわなぁ! 慰謝料ぐらい貰いてぇよ!」
…そんな事、大きい声で言うなよ。
ここで女の名前を出してやってもいい。私の方がとか、あんたがとか、啖呵切ってもいい。
でも、もういい。何も言う事はないよ。ただただ、あんたには本当に呆れる。目も合わせられない人間に言葉なんかない。
これは、あたしが自分を大切にしなかった罰だ。
「お前のやってきた仕事なんか俺がやれば簡単なんだ。何が資料だ。そんなのいらねぇよ。」
彼は私の資料を受け取らなかった。隣の席の同僚が手を差しのべてくれたので私は資料を渡し、宜しくお願いしますと頭を下げた。
もう一度社長と部長に挨拶して、私は会社を出た。
もうすぐ夕暮れだ。2軍球場には誰もいない。アウェイの日で良かった。
フェンスの金網に指をかける。この感触すらも最後だ。
さよなら。
家に帰っても周りに記者がいるんじゃないかと落ち着かない。自信過剰なのはわかっているけれど、自宅の電話が鳴っているのも気味が悪い。
すると今度は携帯が鳴った。
「…出須子…。」
「もしもし? この時間に出るって事は会社じゃないのね? …ふふっ、加代、あたしン家来るでしょ?」
出須子はこういう気遣いが本当に上手い。あたしは感謝の気持ちで一杯で、素直に甘える事にした。
途中の駅で出須子と落ち合い、鍵を貰う。出須子は出勤。
マンションに着くと、あたしはとりあえず実家に電話した。実家にもいくらか電話があったみたいだが、親は余り気にしない程度だと言う。
私は色々言われる事を覚悟していたが、親は偉大だった。事実を告げるとほかには何も言わなくてもあたしの心を大体わかってくれていた。かなわない。あたしはあんた達の子供です。大分気が楽になった。
そして、オーナーに電話をしなければ。
「もしもし、オーナー?」
少しは落ち着いたかな? まず、あたしが友達の所にいるって事を伝えて、これから何をすればいいか、どうやって謝ればいいのか教えて貰っ…
『大場さん?』
…筋!
唇から血の気が引く。その声に手が震える。
『切らないの!』
苦しい、逃げ出したい、どうする…
『もう会わないってどう言う事?』
ごめんなさい、と言おうとしてあたしは言葉を飲んだ。ここで必要なのは謝る事なんかじゃない。
勇気を出せ。こいつの事が好きなんだろ?
「あのね、筋。私、結婚する事にした。」
『…な…』
「ずっと二股かけてた訳よ。遊んでたの。でもね、女って最終的には結婚を選ぶのよ? こんな事があったから、彼も急いでくれたの。来月一杯で寿退社するんだ。だからあんたとはもう会ってられないのね。」
『…大場さん、土日はほとんど僕と会ってたよね。平日だって、彼の前で僕と電話してたの?』
そうだ、土日はあんたに会いに行ってたっけね。メールも電話も数え切れないくらいした。本当にあんたに入れ込んでた訳だ…。
「えー…? 会社の人だもん。いつだって会ってたわよ。」
ちょっと苦しいか、結婚するってのに。具体的に何か言った方が…。
「一応町の花火大会に行ったって言ったじゃない? あれね、実は御女組に会ってたんじゃないのよ。彼と実家に行ってたの。家に紹介したの! …もうお終いなんだってば。あんたには私もイイ思いさせてもらったわ。ありがとね。」
『大…』
「オヤジにも宜しく言っといて。じゃぁね。」
ぎゅっと、強く、電話を切った。
これでいい。
そして電源も切った。
…泣くな!
日が落ちて、灯りをつけて、TVをつけて、部屋の中をどんなに明るくしても明るく感じられない。冷蔵庫から缶ビールも1本拝借したのだが、一向に減らない。
煙草に火を付ける。
「ごほっ、げほ…っ…。」
むせるのも当然なくらい、煙草を吸うなんて久しぶりだ。筋と付き合ってた頃は吸わなかったから。吸わなくても楽しかったから。
あれ? あたし、今、何て?
筋と「付き合ってた」頃?
…はぁ? いつ? いつ付き合ったってんだよ。
自分の莫迦っぷりにあきれて…とうとう、涙も止まらない。
何、勘違いしてんの? 1回寝てもらっただけで? 食事しただけであたしは筋のオンナです? 何様なのあたし。酔ってんの?
ぼろぼろ、Tシャツで拭っても拭っても拭いきれない。
酒と煙草で忘れられない「心」がある。
筋、あんたが好き。あんたに会いたい。会いたいよ。
会っちゃいけない。煙草は一筋の煙をたてたまま。
20030709〜20030801 ナガレバヤシ METROFARCE , 夜のポストリュード , 俺さま祭り
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