エアシップ オン ザ スタジアム (7 キャッチボール)



 筋は1軍に定着しつつあるが、1軍はなかなか勝つ事が少ない(笑)。
「勝ちました。神戸だけど。」
「勝ちました。福岡だけど。」
 なんだか遠くへ行ってしまったみたいで(実際遠いか)、やっぱりプロ野球選手なんだな、と思い知らされる。
 筋は正捕手としてではなく、代打の切り札としてベンチに入っている。なぁんて言うとカッコイイが、要するに交代要員だ。
「そりゃ勝ったけど、あんた9回を守っただけだよねぇ?」
「そりゃ勝ったけど、あんたせっかくの代打で三振したよねぇ?」
 時にメールで、時に電話で、小さなやりとりは続いている。

 こうしてやりとりをしている時にでも隣に女の子がいるかも知れないし、これから夜の街に繰り出すのかも知れないし。
 何て言ってもプロ野球選手だもん、芸能人と一緒。こうやってダラダラ関係する事があたしのステイタス。

 と、思う事にした。
 本当に今、その横で甘えている女の子がいるとわかったら、あたしはどうなっちゃうだろう? クールに「そりゃ、あんたも男だし、いるでしょう1人位は。」って笑って言ってあげられるだろうか。例えば綺麗なモデルの、例えば可愛いアナウンサーの。
 事実を知る事は自分に辛い。
 筋に惹かれていく自分が怖い。
 だから頭を冷やす。いつか傷つかないために。

「じゃぁ、水曜日に勝っても負けても、木曜日に食事しようか。どう?」

 木曜日はパリーグお休みの日。筋からそんな卑怯な手に出られるとは。
 でもこの間はあたしからルールを破ってしまったので何も言えません。

 7月最後の木曜日。明日からのドーム3連戦の後、8月に入るとレイカーズはほとんどドームに帰らなくなる。高校野球にセリーグの甲子園を使用されるため、ドームをセリーグ優先にして使用するからだ。
 仕事がもう少し暇な時期なら有給休暇もとっただろうのに、終業ギリギリに慌てて何とか仕事を終わらす。

 久々に会った筋は少し疲れた目をしていたが、あとは何も変わらない。
 変わらない、が…。
 待ち合わせに先に着いていた筋は不動産の雑誌を立ち読みしていた。
「おっ。本腰入れた?」
 後ろから声を掛けると筋はびっくりしながら振り向いて、そしてやんわりと微笑んだ。
「そんな事ないよ。まだまだ、シーズン終わってからの話。」
 そう言って雑誌を元に戻す。
「今、○○町の物件見てたね。」
「んー…、どっちかって言えば××町なんか考えているんだけどね…。」
 筋の自信の片鱗を垣間見る。その町名は確実にドームを意識した場所の物件だった。…あたしは特に、それ以上触れる事はしなかった。

 あとはいつものくだらない話だ。
「土曜日はねぇ、一応町で夏祭りなんだよ。花火大会もあるんだわ。知ってる?」
「そうだよね。大場さんは帰るの?」
「うん。明日、仕事終わったらそのまま帰るよ。」
「そっか。久しぶりに誰かと会うの?」
「そりゃ、御女組のヤツラとはね〜。あ、邪子は無理か。今はね。」
 いつぞやの記事以来、邪子とは音信不通だ。仕方もない。
「あぁ、そう言えば似蛭田君なら、この間会ったよ。」
「あん?」
「先輩のかかりつけの医師と同じ人にかかってるって。医師をドームに呼んでたから、似蛭田君がちょっと緊急的に来て、診てもらってたみたい。」
「へぇ。」

 何だかつまらない。番組とは私達の方が親しいはずなのに…。私の知らない番組の事を、腕組のあんたが知っているなんて。
 しかも、プロボクサーとして生きている似蛭田と会っている。
 本当に、この人は1軍に行って…。プロの、手の届かない人なのか…。

「負けらんないって。」
「ん?」
「あんな写真撮られちゃったから、ウツツを抜かしてるって言われたくないって言ってたよ。」
「はは、そりゃそうだ。他に何か話した?」
「うーん…天野さんの事は…(ふっと笑って)、何も。」
「何、今の! 今の間は何?」
「まぁ、ははは、ねぇ。男同士の話。」
「うっわ、やらしいーっ!」
 あははと笑う筋。

 笑い顔は変わっていないのに。「やったぁ」って思えない自分。

 食事をした。そのまま別れて帰って来た。
 唇を重ねる事も、手をつなぐ事すらせずに。
 ねぇ、筋。もう1月くらい会えないんだよ?
 寂しいのはあたしだけなのかな。苦しいのは…あたしだけなのかな。
 特別じゃないのは、わかっているけれども。


 金曜日、仕事が終わったのは7時過ぎで、レイカーズの試合速報も3回の結果が配信されていた。レイカーズの先発が滅多打ちに合った模様、ピッチャー交代、合わせてキャッチャーも筋に変わっている。
 そこから徐々に逆転劇を演じている時、あたしは実家に帰る電車に乗っていた。そんなに遠くはないのだけど。
 見事、逆転で勝負をつけた頃、あたしは御女組の皆と電話をしてて、今日は電話もメールも無し。
 ちょっと、わざと。
 なんだかもう、筋からも電話とかメールとか来てなければ悔しいし。
 離れたあたしなんかどうでもいいのかもしれないし。電源も切ってしまうか。


 だから筋からの1通のメールを知ったのは電源を入れた土曜の朝だった。
 短いメール。「もう一応町に着いた?」って。
 だけどこのメールで、朝の心理状態が変わる。
「おはよう。昨日は帰るなり寝ちゃったよ。今日も勝って、あたしに自慢させてよね!」
 朝からぷちぷちメール打ってる、つくづく、あたしって莫迦女。

 あたしは真紀と幾重と待ち合わせして、出須子のマンションにやって来た。
「元気ぃーっ?」
 真紀はあいかわらず声がデカい。気持ちのいい事です。
 出須子のマンションに上がると、そこには邪子がいた。
「邪子!」
「心配かけたね。」
 くわえ煙草でくつろぐ彼女。あぁ、5人揃った。
 その空間はなんとも居心地の良い、あたしの原点だ。

「仕事はどうよ?」
 邪子がくわえ煙草で訊いてくれる。あたしは仕事の愚痴を彼女らにも漏らしていた。でも正直忘れていた、営業をあんなに悩んでいた事を。
「ん、まぁまぁ。この頃は、大丈夫。」
「ぱったりとメールくれなくなるんだもん。心配したよ。」
 真紀のかわいいふくれっ面。その横で無言で頷く幾重。
「あぁー、ごめん。」
「連絡くれないのも元気な証拠。」
 出須子がふふっと笑う。
「うーん、今ちょっと、ハマっているもんがあってさ…」
「何、何っ?」
 あ、うっかり。真紀の好奇の目を誘ってしまった。
「…野球。プロ野球。」
「野球っ!?」
 やば。何か、あたしから口滑らしてる。
「なんなのぉ〜っ? 加代が、野球! 何それっ!」
 しまった。真紀の目はますます大きくなっている。
「会社の近くに…何か…球場があって、さ。」
「あぁ、そうね。あの駅、レイカーズの球場あるわね。」
 出須子は職業柄、物知りだ。そしてふらっと、何気ない言葉が。
「えぇっと…、筋君だったかしら。腕組の。」
 !
「あぁ…いたねぇ。何、あいつ、プロ野球選手なの?」
 真紀は何にでも興味を持つから嫌だ。
「そうよ。腕組はなかなか見かけるわよ、スポーツの世界で。」
 そうだ、腕組の他の奴等の話にいってくれ。頼む出須子、雲童の話でも。
「ねぇ加代、筋君に出くわしたりしないの?」
 あたしに戻すな!!!
 左横でクッと笑う邪子。振り向いて邪子を見ると、邪子は笑いながら目を逸らす。
 あぁ、しまった! 似蛭田経由か!!(筋、何て話しやがった!)
「あ…あ…会った、よ。」
「へ〜っ。元気だった?」
 真紀には全く悪気はない。それはあたしもわかってる。
「うん。」
 オクターブ高くなるあたしの声。邪子、あんたの煙草の煙、ウザい!
「雲童君はよく来てくれるのよ。」
 出須子は水商売の世界にいる。高級クラブのホステスだ。水商売の中でも洗練されている気がして、あたしはちょっと自慢だったりする。
「雲童、金持ってそうだもんね〜。」
 真紀のテンションは下がらない。だけどこのまま違う方向へ行ってくれ。
「羽振りいいわよ。女の子も、ちゃんとした子を紹介してるわ。」

 ん? 待てよ?
 筋、もしかして…出須子のお店とか行ってるのかしら。

「ちゃんとした子を紹介って、何?」
 真紀、ナイスな質問だ。実のところ、それが気になる。
「それは…ねぇ…。大人のお付き合いもする事はあるわよ?」

 !!!
 ちょちょちょ、ちょっと待って!
 筋! あんた、どんなとこ行ってんの!?

「出須子も…?」
 真紀の興味はもう止まらない。
「雲童君はないけど? そうね…。」

 そうねって何!? 雲童君はないけど? も、もしかして、す、す…
 そそそそうだ、だって筋はもう3年目、あたしの知ってる筋はほんのちょっとなんだ! っつーか、出須子が筋がレイカーズにいる事を知ってるってのはやっぱり筋がお店に行っているって事っ!?
 ぎゃぁーっ! もしかしてもしかして、あんた達、あたしの知らない所で!?
 出須子、あんたとだけはバッティングしたくない!

 こんなにも寝取られるのが解りきってる勝負なんかないって!

「…加代。痛いわよ。」
 あたしは右横の出須子の腕をつかんで顔を凝視していた。
「レイカーズ? 気になる選手いんの?? カッコイイ???」
 し、しまっ…。キラキラ目の真紀。またあたしから振ってる?
「1軍じゃなくて2軍の子? 2軍の選手は余り来ないわ。」
 2軍? あ、球場の事? でも筋は、
「ううん、1軍にあがったのよ?」
「あぁ…、キャッチャーの方、怪我されてたわね。ねぇ加代、やっぱり筋君の事を言っているの?」
 ああああああ。自爆…。
「あっはっは! 洗いざらい、だねぇ? 加代っ?」
 邪子が背中をバンバンと叩いた。



 夕方になると、そろそろ行こうかと5人で外へ出た。
 賑わっている公園をぷらぷらと歩く。
 夕涼みの風の中、誰かの携帯の音。
「加代、出なよ。鳴ってるって。」
「ん? あれ? あたしの? ごめん、ちょっと。」

 皆の前で着信すると、それは応援のお姉ちゃん達からだった。
『加代ちゃん! スタメンマスクだよ〜!』
「ええっ? 嘘っ!?」
 スターティングメンバー。試合開始の時にキャッチャーマスクを被る。代打じゃなくて、交代要員じゃなくて、今日の捕手の座を担っている!
『マジだって! 今期初! 早く来なよ!』
「あぁ〜、ごめん、今日は…。ほんっとごめん、あたしの分まで応援して。」
 あたしは電話を切った。

 邪子ははぁ〜っと溜息をつく。
「加代。あたし達、何のためにツルんでると思ってんの?」
「え…。だってあたし、…今日の事、皆に会える事、凄く楽しみに…。」
 後ろからガシッと膝の裏を蹴られた。真紀。
「いつだって会えんだよ! 加代さえその気なら!」
「筋君に夢中になっててメールもよこさない加代に、あたし達は付き合うって言ってるの。」
 出須子。
 そして幾重の手がぽんと肩に乗った。そ、その目は…。ジャニーズを追っかけるあんたとプロ野球選手を追っかけるあたしがダブっているんでしょうか。
「ほら!」
 邪子が背中を叩く。あんた今日それ2回目。
「…ごめん! 花火、見ておいて!」
「お〜! 目指せプロ野球選手の嫁!!」
 真紀の大きな声は本当に気持ちいい!


 ドームまで1時間半。それまでどうか、交代させられていませんように!
 駅に着いても走る走る。メール速報では4回まで配信されている。タイムラグを考えても5回、最悪まだ6回あたりであって欲しい。
 流石にこれからドームを離れるから、土曜日の本拠地は賑わっている。外野に入れなかったので内野席、でも一番安い外野寄りのチケットで入場した。
 走ってゲートをくぐる。警備員に怒られる。ごめんなさい。うりゃ。

 ボコンッ!

 目の前にボールが飛び込んできた。初めて会ったあの時みたいだ。
 あの時と違うのは後ろに青空が無い事。だけれども、大勢のファンがあなた達の活躍を期待して目を輝かせているという事!
 一斉に「あ〜」って溜息。外野ポール際。
「筋! こっちだろ! こっちに入れろ!」
 と、外野の兄ちゃん。周囲大爆笑!
 バッターボックスに筋が立っている。間に合った…。
 あたしは階段を駆け下りて、一番前にへばりついた。
「加代ちゃん!」
「来たよ!」
 外野のお姉ちゃん達と内野のあたしでちょっと遠い会話。
「筋君、凄いって! 今日2打点、メール見てた?」
「うっ!? 見てたような…。早く来たかっ…あっ!」
 フワッと上がった打球、センターバックスクリーンへ!
「きゃぁぁぁぁぁ〜っ!!!」
 バント要員じゃないのです! 筋は元々パワーヒッターなのだ! ハイスクール1巻参照!

 試合は23-21。点数です。野球です。
 こんなにバカスカ打って、辛くも2点差逃げ切り。やってくれるわ。
 まぁいい。まぁいい…。

 今頃一応町の花火大会も終わっている頃か。あたしも見た。花火。
「メール速報見た! 驚いたよ、あんたがホームランなんて!」
 メールを打って、そしてあたしは一応町に戻って行く。
 メールの返信は、
「少しは自慢して下さい。」
 相変わらずそっけなく、ううん、興奮を冷ましているのか。

 御女組の皆に、何て言って伝えようか。
 何て言って自慢しようか!



20030614〜20030623 ナガレバヤシ   BUMP OF CHICKEN , キャッチボール , jupiter


後書きを読んでくれたり
メールでもくれてやろうかと思っている人
そんな人が大好きだ!